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  3月27日(2016年) 

宇都宮で、大谷アカデミーの講演をする『日本における組積造』について。組積造が発達しなかったのはセメント系の材料がなかったからである。そして補強方法に一例を示す。



  3月26日(2016年) 

JIA文化財修復塾の最終講習会(第9回)ラウンドテーブル。



  3月21日(2016年) 

成蹊小学校でJIA中野地域会の空間ワークショップ。
終わってから熊崎君に成蹊の施設を案内して貰った。



  2月4日(2016年) 

ショージ会に久しぶりに出席。



  1月23日(2016年) 

小学校の同級生が平塚でレストラン&バー、『ウイナーズ』を始めたので、仲間で食べに行く。なかなか美味しい。しかし平塚はちょっと遠い。近くの登録文化財を見る。



  12月11日(2015年) 

日比谷公会堂に、鉱毒事件の映画『鉱毒悲歌』を見に行く。足尾銅山の保存に関わったので、どうしても見ておきたかった。今はなく立松和平がいろいろ語りをしている。やはり凄まじいい事件であった。



  10月3日(2015年) 

星野先生不在の「星の子会」。女性出席ゼロ。西荻窪『こけしや』終わってから赤提灯で一杯。



  9月12日(2015年) 

兼松紘一郎さんの取材で、「兼松紘一郎が巡る建築家」の取材で吉国邸を訪れる。12月16日原宿で3人で飲む。



  8月29日−30日(2015年) 

中野一家と浅間温泉に泊まりにいく。退職に際して、みんなから贈られた旅行券を使う。



  7月25日(2015年) 

隅田川の花火、ウンコビルで歯医者の会があり潜り込む。代田は粋な浴衣を着て会長職をこなしていた。花火を少々見てて混まないうちに帰る。



  7月19日(2015年) 

1969年から1970年にかけてイランでお世話になり結婚式に立ち会って下さった実質的な仲人の松下夫妻とKKRで会食。



  7月3日(2015年) 

宇大一回生の会 有楽町 東天紅にて



  6月30日(2015年) 

裏の貸家の解体が始まり、瞬く間に更地になる。北側の通りからも丸見え、アパートの外廊下を歩いてくると自然と目線が我が家に向かう。ということで、本格的には裏に建物が建ってからということで、とりあえず台所にはカーテン、二階にはブラインドを付けた。今は明るいが、3階建てでも建つと相当暗くなるだろう。



  6月12日(2015年) 

我が家にアルファーロメオ・ミトが来る。



  本年度のこと 

1.中野たてもの応援団 団長、2.JIA中野地域会 代表、 3.JIA修復塾 塾長、4.家事(期日は特にないが) a.植木屋、b.ペンキ屋、c. 屋根屋、d.整理・片付け ・・・・・等々。すぐに一年経ちそうだ。もうすぐ筍が出てくるだろう。



  JIA北海道支部総会 

2014年5月8日JIA北海道支部の総会。その後の研修会は「災害対策」の話し、東京から岡部さんが来られる。懇親会、その2次会まで参加。



  「中野たてもの応援団」発足 

2011年12月17日第1回見学会を行う対象は中野区に唯一残る白鷺の茅葺き民家。庭の紅葉が綺麗だった。欅や柿の葉が落ちて、夏よりも敷地全体に明るくなった。今冬一の寒さだったが、動いていれば何とか暖かく夏の蚊よりは凌ぎやすい。



 「まちはなねっとわーく」2011年11月11日NPOを取得。 

3.11の災害後、復興活動をしてきた「まちはなねっとわーく」2011年11月11日NPOを取得。いよいよ本格的な活動開始である。



 R&R 建築再生展2011 

R&R 建築再生展2011に宇キ宮大学建築OBの災害支援グループ「まちはな ねっとわーく」も出展


今年のR&R 建築再生展2011では緊急企画 復興アイデア募集 第9回設計アイデアコンテスト 東日本大震災 チャリティー街と建築にできること!!があり審査を行う。2010.9.1-2





 宇キ宮大学[建築]30週年 宇峻会 

有楽町の東京フォーラムの地下で開かれた。第1回卒業生が巣立ってから30年である。1回生はそろそろ50歳か。2011/5/28





 東日本大震災 

2011年3月11日にM9の東北地方太平洋沖地震起こりました。地震に誘発され大津波が起き、原子力発電所の事故におよび大変多くの方々が被災されました。地震の被害は、茨城、栃木でひどく身近な方々にも被害が及んでおります。



上段:左から気仙沼、火事にも見舞われ、焼けただれた自動車が目につく。巨大な船が打ち上げられている。やはり気仙沼。陸前高田の雇用促進住宅。手前の海側の建物は4階までのバルコニーの手摺りが全て損傷を受けているが、後ろ側は4階までのガラスは割れているが、手摺りは残っている。何れにしても4階の高さまで海がせり上がったことになる。
2段:仮設住宅が整然と並んでいる。金・手間の掛からない工夫がもう少し欲しいというのは贅沢だろうか。
3段:女川、津波のものすごさをまざまざと感じさせる被害が見られた。人間の無力さを感じる。湾の中心に建っている塔。塔の上の風力計はくるくると回っていたが、周辺部分では、この塔よりも水は高い位置まで湧き上がって被害の爪痕を残している。
下段:仙台平野。リアス式海岸とはまた違った様相の被害。



 汚泥リサイクルの研修で直江津に行く 

直江津の株式会社アイシンのソイル事業を見学に行く。2010.9.1-2





 (旧白井晟一自邸「虚白庵」お別れの会 

中野区江原町「虚白庵」が取り壊されることになりお別れの会が開かれた。詳しくは建築ジャーナル6月号54頁をお読み下さい。



 (旧)向坂邸 

中野区上鷺宮には労農派のマルクス経済学者向坂逸郎が住んだ「(旧)向坂邸」が残されていた。戦争画家の花岡萬舟が中島今朝陸軍中将を総裁に1941年に忠愛美術学院研究所を設立したが、その研究所の建物として建てられた。花岡萬舟は戦時中に行方不明になり、建てられた経緯を知らず、大分後に向坂逸郎が買いアトリエを書庫として使っていた。逸郎没後、妻の故ゆきがその7万冊ともいわれる膨大な図書を法政大学大原社会問題研究所に寄贈し、その後、土地家屋も法政大学に寄贈され、最近までその姿を止めていたが、2010年になって解体された。左の写真は母屋、次が離れ、母屋の床廻りと障子、一段下に行って、アトリエにおかれた書棚、さらに下は解体された向坂邸の敷地。

   
  向坂はかつてのアトリエを書庫に使用していた。
  解体され更地になった向坂邸の敷地。何本かの木が残されている。


 (旧)粟野中学校 

栃木県鹿沼市の「(旧)粟野中学校」を見に行く。昭和22年に建設された木造校舎で、既に新しい鉄筋コンクリートの校舎が建てられ、6年前から閉鎖されている。校庭はゲートボールなどに開放されているが、校舎の方は現在のところ閉鎖され放置されている。戦後すぐ建設された建物であるが、当時の粟野町は比較的豊かで、しっかりした工事がなされている。建て替えを考えているわけではないから取り壊しを急ぐ必要性はない。山懐に抱かれたほのぼのとした雰囲気は貴重な日本の教育の歴史を伝える地域文化だと言える。
  
まだ、人のぬくもりが残っている。廊下の床、天井は建設当時のまま。教室の幾つかも当時のまま使われている。服飾室は畳敷きで床の間がある。座って裁縫を習ったという。


 粟野の街角で 


口粟野の街の中に古い「油屋」を見付けた。鼠漆喰の見世蔵と洋館、大谷石(鹿沼石かも知れない)の蔵、オランダ積みの赤煉瓦の塀。鼠漆喰はよほどの職人が仕上げたものか艶が十分残っている。煉瓦の積み方がイギリス積みでなく、オランダ積みのところも面白い。
 
街の中心に位置しかっての隆盛を偲ばせる。


 栃木県庁議事堂(大高正人設計)解体 


栃木県庁舎の新設に伴い「(旧)栃木県庁議事堂」が解体された。解体された跡地は公園になる予定。何らかの形で残すことは出来なかったか?佐藤功一による栃木県庁舎本館が部分的に曳き家されて保存されたが、それと向き合う形で、歴史軸が構成されたと考えると残念でしょうがない。

解体現場。遠方に曳き家された旧県庁舎本館が見える。


 「新台東病院(仮称)」入札問題 

東京都台東区が建設予定の「新台東病院(仮称)」について、区が行った基本設計(予定価格は3600万円)の一般競争入札で、都内の大手設計事務所がわずか8366円で落札、契約していた事に対して、その設計事務所がJIAの有力会員事務所であったことから波紋が広がっている。この波紋が、建築家の職能の確立に少しでも近づくエネルギーを生み出してくれると良い。




 宇都宮大学建設学科建築学講座 創立30周年 

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2002 2003 2004
2005 2006 2007

宇都宮大学建設学科建築学講座は、創立30周年2007年12月1日に記念式典を行い、記念誌を発行する予定です。




 イラクの博物館の収蔵物略奪  


かって、中国が台湾を攻められない理由に蒋介石が軍艦に乗せて持って逃げた故宮の収蔵品があるからだと聞いたことがある。米軍は太平洋戦争の時、京都・奈良に爆弾を落とすことをひかえたとも聞く。ラジオで、米国のGNPはイラクの700倍、軍事力は250倍であると言っていた。アメリカ文化は退化。




 本の紹介 


インド人女性のアルンダティ・ロイ著 本橋哲也訳 「帝国を壊すために−戦争と正義をめぐるエッセイ−」岩波新書 まだ読んでおられない方は是非お読み下さい。




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