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2016.2.24 清泉女子大学の本館を視察 ジョサイア・コンドル設計。特に耐震補強に付いてみる。





2016.2.20 JIA文化財修復塾で栃木市伝建地区を見学 河東さんの講演。





2016.2.10 佐原の街を見に行く。





2016.1.13 森美術館 フォスター&パートナー展、ワタリュウム リナ・ボバルディ展を見る。





2015.12.26 JIA文化財修復塾で明日館





2015.12.3 J.K.君と二人、小学校以来の友人に鎌倉を案内して貰う。終わって、鎌倉の街で、もう一人加わり飲み会。





2015.11.28 JIA文化財修復塾で東京駅と丸の内界隈を見学。講習会





2015.11.15 小平霊園の北、国の登録文化財 村野邸を村野さんの案内で見に行く。
紅葉の時期でもあり秋の古民家を堪能した。





2015.11.7 JIA中野地域会と事務所協会中野支部との共催で山梨に見学会。
猿橋、山梨県立リニアセンター、フジミュージアムなど見学。





2015.10.21 千葉の東金に円分水の施設を見に行く。





2015.10.11 JIA文化財修復で鎌倉の洋館 講演と実測





2015.8.20 発電王の黄林閣(重要文化財)見学 一度来たが見学の曜日が限られているため再度訪れる。





2015.7.18 JIA中野地域会主催の区民に公開した見学会を行った。
実践学園学習館 JIAの作品賞受賞作品





久しぶりに「山海塾」バックの化石からとったというレリーフの壁がうるさくて、せっかくの舞踏が死んでしまった様な気がする。シンプルなものが似合っている。





2014年8月21日、喜田のグループに参加して、余市と小樽見に行くカンディハウスを訪ねた。
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写真説明:@集合場所の月寒の公民館には札幌軟石のサイロがある、Aニッカウヰスキー工場入り口、Bウイスキーの蒸留装置、Cテレビドラマでも有名になった工場内の一連の建物、D高島岬で昼。灯台と鰊御殿が見える、E煉瓦造の操作場を外から見る。





2014年7月12日-13日、中野たてもの応援団の、起ツアー三岸節子美術館を訪ねる
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D   E  

写真説明:@三岸節子美術館近くの土蔵の開口、A起の特徴の一つ「のこぎり屋根」、Bその内部は、C起の民家、D世田谷から移築された本多邸、E本多邸の階段。





2013年12月13日、羽深久夫先生、金子晋也先生、院生と旭川の道立北方建築総合研究所と家具メーカーカンディハウスを訪ねた。
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B   C   D  
E   F  
写真説明:@大雪地ビール館、A同じ敷地、B北方建築総合研究所(昔の寒地研)、C同、内部の説明を聞く、D実大実験が可能な試験室、E旭川家具のメーカーの工場=カンディハウス、F質の高い家具が作られている。
旭川ラーメンもおいしかった。





2012年12月4日 鈴木先生、羽深先生と3人で北海道小林酒造を訪ねた。





2011年12月19日、群馬県甘楽町−小幡−の集落を訪ねた。残念ながら月曜日で歴史民俗資料館は休館だったが、駐車させて貰い街の中を歩いた。小幡は城下町で武家屋敷と町屋が残っている。町の中央に雄川堰がある。
@   A
B   C
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F   G  
写真説明:@雄川堰:水は澄んでおり有効に活用されているA町屋(たばこ屋)Bたばこの文字 なつかしいタイルC井戸 手でも汲めるようだD中大路:右側に武家屋敷が並んでいるE石垣F武家屋敷 高橋家の飾りG歴史民俗資料館 煉瓦造の繭蔵の転用





中野の−歴史民俗資料館−で10月1日山崎家の茶室を公開しており,同時に哲学堂と野方配水塔についての展示もしているというので見に行く。展示もなかなかよかった。配水塔は当初2棟計画されていた様だ。資料館を出て、家まで歩いて帰る。111001
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C D  
写真説明:@歴史民俗資料館に隣接した山崎家の茶室。A敷地の中に幾つかある灯籠の一つ。B大きなスダジイの木が敷地を覆い薄暗くしている。成長しすぎて雪や風に耐えられないのか大枝を支える金属パイプのつっかい棒が何本も立てられている。その巨木の根。確か中野区の木はスダジイだったと記憶している。C帰り道で。大谷石の小屋の中の置かれ、右側に江古田の文字が見える。D廃屋。庭に大きなキンモクセイの木が2本。丁度花の季節。辺り一面香りを振りまいていた。暫く経つと道路一面オレンジ色になる。これも帰路で。





北千住で−なかだえり水彩画「蔵展12」−が5月28日から開かれており見に行く。なかなかよかった。でも今日が最終日。そのあと、北千住のまちを少しふらふらと歩く。人が行き違うのがやっとの路地があったり、古くからの建物が残っていたり、なかなかいいまちである。今日は、このまちに多いトタン貼りの家屋を幾つか集めてみた。最近は余り使われなくなったが、戦後の一時期、そこら中に見られた外壁の構法である。2011年6月5日
@   A
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D   E
写真説明:@駅の近く。昔の看板建築。奥が表通りでこの道路に近い古いところは銅板で丁寧に葺いてある。A昔の長屋。それぞれの家に付いていた玄関の屋根が残っている。B建物を全部ブルーに塗っている。トタンのなまこ板。Cこれはトタンの一文字葺き。D蔵の外壁もトタンで補修。Eなかだりえさんのアトリエ





 2010.4.18


2010年8月、大谷石採掘所
野天堀の採掘所の下まで入れて頂いた。大谷石採掘所のかつて掘った段に緑が育ち美しい。この日はこのあと大谷石造の住宅を見た。2010年8月18日
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写真説明:底には水が貯まっている。常にポンプで汲み上げる必要がある。足尾の銅山でも坑内の排水が重要な問題になっていた。右は大谷石の住宅で使われていたステンドグラス。





2010年7月、久地の円筒分水
通り掛かりに溝の口の駅から歩いて20分ぐらいのところに久地という地名のところがあるが、ここに珍しいものがあることと聞いて、その久地円筒分水を見に行った。その日は溝の口の街道沿いに残っている民家や蔵を見て回ったのだが、帰りがけに看板を発見し見に行きたくなった。円筒の中から水が湧き出し、周囲の枠にその円周の分割の割合に応じて水が分配される仕組みになっている。仕組が単純明快で実に面白い。2010年7月14日
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写真説明:役目は終えているが、今でもサイフォンの原理で水が湧き出ている。





2010年7月、中野区鷺宮
鷺宮団地はこぢんまりした団地であるが阿佐ヶ谷住宅と同様、前川国男の作品である。近くの白鷺には中野区には珍しい緑の豊かな通りがある。2010年7月12日
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写真説明:上が鷺宮住宅、下2枚の緑は両者とも一本の道沿ってある。





2010年2月、中野区大和町の築地塀−
通り掛かりに立派な築地塀を見る以前にも見たことがあったがまだ健在と喜ぶが、中に人の気配がない。玄関廻りに家具が粗大ゴミのラベルを貼られて並べられていた。築地塀のためにも住み続ける人がいて欲しい。2010年2月11日
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写真説明:瓦も良いし、蔦が覆う南側には装飾として巴瓦が幾つか埋め込まれていたような記憶がある。





2010年1月30日、東京駅八重洲口−片倉ビル見学会−
そろそろ解体の始まる東京駅八重洲口の片倉ビルを見に行く。昨年内部を見学させて頂いた隣の蛇の目ビルには既に工事用のシートが掛けられていた。見学のあと、城東小学校、東京土地建物、鉄鋼ビル、東京国際郵便局を見て歩いた。
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  片倉ビル
      城東小学校
      東京土地建物
    鉄鋼ビル
  東京国際郵便局
写真説明:見た順番に並んでいる。片倉ビルの内部の写真はない。





2009年12月26日−28日、松山−松村正恒の建築−
松山に泊まり翌る朝、瀬戸内海沿いに道をとり日土小学校など松村正恒の建築を見に行く。日土小学校も良かったが、川之内小学校も近代化以前の学校建築に対する真摯な取り組みが見られて嬉しかった。
(その内)写真をヒットすると大きくしてご覧頂けるようになります。
       
写真説明:日土小学校
       
写真説明:川之内小学校





2008年9月18日−20日、日本建築学会広島大会
大会2日目瀬戸内海の大崎下島に御手洗の集落を見に行く。総面積は14.15ku、人口は約4000人、世帯数は約1500戸。瀬戸内海の航海が岸に沿わずにできるようになり「地乗り」から「沖乗り」に変わりその寄港地として栄えた。往きは行き方が分からず時間を食ってしまったが、いろいろの方の親切で、乗り物や道を教わり無事到着。小雨も上がり青空が戻り夕焼けが綺麗に映え帰りはスムースであった。
写真をヒットすると大きくしてご覧頂けます。



   
岬の先端にある蛭子神社には商人達が厚い信仰を寄せた。立派なしめ縄が掛かっている。
御手洗町の海岸沿いの道。小さな港町であるが、奥行きがある。山側の方に若胡屋というかっての遊女屋の建物を改造した公民館があるが、閉められ暫く使われていない様子であった。

     
常盤町は江戸の街並みと銘打っているだけあって、なかなか街並みが揃っている(写真上左)。大東寺の海側の鞆田邸の海鼠壁。漆喰の付け方に幅と丸みを持たせ特徴がある。海産物・穀物問屋で、金融業も営んでいた。通りを挟んで鞆田別邸の洋館、また鞆田邸隣にはこれも洋館の見番の建物が建っている。

   
乙女座、昭和12年に建てられた劇場。戦後は映画館選果場などとして使われ平成14年に復元された。内部に古い劇場の様式を残している。

     
今回、仁方(ニガタ)から下蒲刈島を通って上蒲刈島の大浦までバスに乗った。立派な橋が島々を繋いでいる。また目的地の大崎下島とその手前の豊島にも橋が架かっている。しかし、上蒲刈島と豊島の間には橋がない。尤もここにも橋が建造中(写真上左)で11月には開通するそうである。ともかく今回はフェリーを利用して海を渡り、大崎下島西側の立花港に着く(写真右上は立花港に着くフェリー)。そこからバスで東のはずれの御手洗にいける。近くの大長(おおなが)にも湊があり船が着くが高速船で、少し遠回りになる。フェリ−からの瀬戸の夕暮れは美しかった。しかし橋が完成するとこのフェリーもなくなってしまうのだろうかと少し寂しくなった。





2007年8月29日−31日、日本建築学会福岡大会
大会前日午後太宰府に天満宮九州国立博物館を見に行く。なかなかであった。
明くる日の午後、重要文化財の辰野金吾の設計による福岡市赤煉瓦文化館(旧日本生命保険株式会社九州支店)(明治42年2月竣工)と九州大学箱崎キャンパス馬出キャンパスの近代建築を訪れた。写真をヒットすると大きくしてご覧頂けます。



   
九州国立博物館 スケールオーバーな気もするが収蔵品は素晴らしい。
吹きさらしの建物に対して、何となくインドネシアで見た建物と同じ様な空間を感じた。

   
中にある説明の鳥瞰図によると、この辺り同じ様な建物が林立していた様であり、その様変わりには驚かされる。

     
九大の中には素晴らしい近代建築が残されている。箱崎キャンパスの応用工学部応用化学教室:S2、工学部本館:S5、旧工学部仮実験室・研究室:T14など多数。馬出キャンパスにもM36年の守衛所他幾つかの建物が残っている。馬出小学校の近くに福岡市立動物園の正門(S8(1933))が残っておりユニークであると聞いているが、今回見ることが出来なかったのが残念である。



2007年8月27日駒込の「ケヤキハウス」を見に行く。
漆喰による外壁を持つ高層マンションケヤキハウス教えてもらわなければ漆喰仕上げだとは分からない。色漆喰の為、多少色に変化が付いていて面白い。新しい仕上げの様な気がした。



 


2005年9月1日−3日、日本建築学会近畿大会 近畿大学
大会1日目夕方一日目の夕方、研究室の飲み会の前に高島屋大阪歌舞伎座を見に行く、見ている最中に庇に照明が入った。会場の南側に旧清華小学校があった。



 


大会2日目午後大会パンフレットに出ていた、樟徳館に行く。木材はともかくガラスもなかなか凝った造りになっている。:建物内部も見学したもの。以下同様。

   


大会日2目午後市内 樟徳館を見た後、市内にでて近代建築を見て歩く:「阪急ビルディング」 1929 竹中工務店、「大阪中央郵便局」1939 逓信省(吉田鉄郎)、「毎日新聞大阪本社堂島社屋正面玄関のなごり」、「朝日ビル」、「新朝日ビル」、「ダイビル」、「日本銀行大阪支店」1903 辰野葛西建築事務所、「大阪中央公会堂」1918、「大阪府立中之島図書館」1904、「住友ビルディング」1926、「淀屋橋」、「日本生命相互会社」1938、「小学校」、「大阪倶楽部」1924 片岡建築事務所(安井武雄)、「銭高組高徳寮」、「大阪ガスビル」1933 安井建築事務所(感動!)、「芝川ビル(芝蘭社)」1927 本間乙彦、渋谷五郎、「大阪市立愛珠幼稚園」1901 伏見柳、久留正造、中村竹林、「八木通商(大阪農工銀行)」1918 辰野葛西建築事務所、中村健法律事務所(中村健太郎法律経済事務所)」1938 村野藤吾、「大阪証券取引所」1935 長谷部竹腰建築事務所、「荒井ビル」1922 河合建築事務所、住友銀行大阪中央支店1936 曽根・中條建築事務所、「高麗橋野村ビルディング」1927 安井建築事務所 (安井武雄の評価高くなる) 
     


大会3日目午後 市内の近代建築を見て回る:「大丸心斎橋」、「綿業会館」1931 渡辺節建築事務所、「小川香料」1930 竹中工務店(本間乙彦)、「船場ビルディング」1925 村上徹一、「旧東京貯蓄銀行大阪支店」1920 不詳、「イトーキクレビル」竣工年不詳 小川安一郎、「武田薬品工業商店本館」1928 片岡建築事務所(松室重光)、「日本基督教団浪花教会」1930 竹中工務店(石川純一郎、早良俊夫)、「高麗橋ビルディング(大阪教育生命保険)」1912 辰野片岡建築事務所、「伏見ビル(澤野ビル)」1924 長田岩次郎、「青山ビル」1921 大林組、小西家(儀助)住宅、「生駒ビルディング」1930 宗建築事務所(大倉三郎、脇永一雄)、「岸本瓦町邸(岸本吉衛門家)」1931 笹川慎一、「明治屋ビル」1924 曽根中條建築事務所 
     




2004年11月23日、JIA栃木クラブ見学ツアー
初冬の青空の中“館林美術館”設計:高橋青光一、“正田醤油本社”設計:マヌファット、“結城市市民情報センター”設計:三上建築事務所、“下館アルテリオ”設計:池原義郎の4作品を見学
館林では群馬地域会の須田会員が参加


館林美術館上段:遠景 下段:展示室 玉砂利
 



正田醤油本社 醤油蔵を改修保存して本社社屋としたもの 左:外観 中:ホール 右:トップライトからの陽光
   


結城市市民情報センター 左:外部エントランスの大屋根 中左:エントランスホールの吹き抜けと階段 中右:図書室 右:透明の消火栓ボックス
     


下館アルテリオ 左:外観(魚眼レンズ) 中:エントランス前庭の見上げ(魚眼レンズ) 右:透明の渡り廊下
   




2004年11月14日、兼松講堂を見るを見る。
“東京たてもの園”主催の講演会が兼松講堂であり、数年前に学園祭の時に見た兼松講堂に入った、素晴らしく綺麗になっていたが、何故か学園祭の中で見た時の迫力が感じられなかった。伊東忠太に似合わない明るく健康的な雰囲気に一新されたせいかもしれない。
一橋大学には、兼松講堂の他に、本館と図書館が同じ伊東忠太の設計である。
【写真】
上段 左:兼松講堂、中:本館、右:図書館
中段 左:講堂内部、中:2階ホワイエ、右:講堂内部のシャンデリア
下段 怪物などの装飾他
   
   
     




2004年10月、公団桜上水団地を見る。
敷地全体に、敷地内は緑が多く、また木々は大きく生長し、ゆとりのある生活空間を感じさせる。特に春の桜の季節は素晴らしい花のトンネルになるだろう中央の通路や、公園の裏側の路地は長い年月を掛けて育った樹木のおかげをふんだんに受けている。外壁は塗り替えられ白く輝いていた。敷地内の公園は大きな木に囲まれていたが遊んでいる子ども達も多く活気がありそうに思える。
   
   




2004年10月、給水塔を視察。
鉄骨の階段を上るとタンクの上にでる。いまは水はなく巨大な円筒状の空間がある。ふさいである窓から漏れる光で、何とか回廊の上を歩けるが、タンクの底には懐中電灯の光がやっと届く程度である。階段室の上には鳩が住み着いていた。階段の手すりは錆による傷みを考えて真鍮で造られている。

   




2004年10月17日、JIAの東京大会の一環として東京の建築遺産を見て歩くエクスカーションがあった。
朝、9時東京文化会館前に集合、西洋美術館、日本芸術院会館、奏楽堂、国際こども図書館、木造3階建てのはん亭で昼食、岩崎邸、本郷の東大建築棟を見て歩く。
【写真】
上段 左:西洋美術館のトップライトの階から展示室を見下ろす。中:国際こども図書館 入口で見学の説明 右:既存の開口部のアーチが新しい床と交わるところのディテール。
二段目 左の2枚:国際こども図書館内部 古い建物の外壁が増設部分のインテリアになっている。右:新設部分のガラスの階段のディテール
三段目 左:木造2階建ての「はん亭」 中:岩崎邸外観外でイベントが行われている。右:岩崎邸の内部の柱 
下段 左:岩崎邸内部ホール 中:バルコニーの床タイル 右:東京大学 建築学科の図書館
      
      
      
      




2004年9月、旧公衆衛生院(現国立保健医療科学院)設計:内田祥三、施工:大倉土木、昭和15(1940)年を見る。
休日で、敷地内は静かだった。外壁はスクラッチタイル。窓はアルミサッシュに変えられていたが、窓周りの水切りは健在であった。
      
         




2004年9月11日、熱海。吉田鉄郎の設計した馬場氏熱海別邸を見る(建築主は馬場はる、施工は石川苫吉、竣工昭和15年。庭園設計は竜居松之助)。さらにブルーノ・タウトタウト設計の日向邸(現「日本カーバイト工業熱海寮」、建築主は実業家日向利兵衛、完成昭和11年、設計を吉田鉄郎と若い助手達が協力した)を見る。
馬場氏熱海別邸:門の建具は板戸、格子戸とも向かって右側に引き込める。特徴のある客間一間の二階。茶室の床柱右側には建具が当たる。縁側突き当たりの物入れの舞良戸の横猿
   

馬場邸の階段各所の納まり。一階廊下からの階段、その柱周り、周り階段部分の側桁、2階踊り場の納まり。ここでも柱同様に面皮が框に使われている
            

日向邸 上:見学会の様子。左が日本間、中央に洋風客室、右奥に社交室が見える。下:左は洋風客室、中は社交室、右は奥の日本間からベランダへの階段。面白いディテールはまたの機会に。

    

見学会の後熱海の街を駅まで歩きながら散策をする。斜面を利用した瀟洒な別邸と思われる日本家屋が数多く見られる。その多くが今はほとんど利用されないまま寂しそうな佇まいを見せている。駅に近い路地裏ももっと探索しても良さそうである。
   





2004年8月末、札幌の北海道大学で、日本建築学会の大会があった。最終日、台風が上陸し若干交通の便が乱れたがさしたる事もなかった。北海道は何遍か訪れ、夏冬とも山にかなりの日数こもった事もあるし、学会や視察で訪れたこともあるが意外札幌の市街を見ていない。学会の合間に見て歩いた。
北海道大学のキャンパスの中:そろそろ近代建築として価値が指摘されはじめた工学部建築棟。
総合博物館では「北海道の歴史的建築図面展」が行われていた。図面展も面白かったが総合博物館の入口、中央の階段周り、吹き抜けもなかなか良い。
        

重要文化財「札幌農学校第2農場」前も訪れたが、中にはいるのは初めて、牧草を踏んで靴をぬらしてバーンの周りを回った。バーンらしい豪快さは国内ではほとんど見られない。所々にある装飾も良い。
  

札幌市指定 有形文化財「清華亭」開拓使の貴賓接待所として偕楽園の中に立てられたもの。明治13年完成。北海道らしい外観で、和洋折衷


北海道指定 有形文化財「旧永山武四郎邸」第2代の北海道長官の永山武四郎が屯田事務局長時代に私邸として建てたもの。明治10年代前半に建設。北側部分が増築され、旧三菱鉱業セメント蒲セの貴賓室となっていた。「清華亭」と同様に北海道らしい外観で、和洋折衷
  

国指定重要文化財 豊平館 北海道開拓使直属のホテルとして明治13年に建設。
   

札幌市資料館 札幌控訴院として大正12年に建設。
  

国指定 重要文化財「八窓庵(旧舎那院忘筌)中島公園内 小堀遠州が居城である江州(滋賀県)小室城内の小堀家菩提所孤蓬庵の構内に造った茶室。二畳台目の小さな茶室です。小さなところに八つも窓があるにもかかわらず、うるさくなく素晴らしく均整がとれた緊張感がある空間。
  




2004年8月、信州の棚田を見に向かう途中、更埴の稲荷山集落を偶然に車で通過、両側に並ぶ土蔵に思わず車を止める。北国西街道の宿場町。手入れの行き届かない建物が目立ったが、盛時の素晴らしさが思われ、短時間であったが興奮してシャッターを切る。何とか保存したい街並みのひとつだ。次には、裏道もじっくり歩いてみたい。
稲荷山の北西の角地にある店蔵。北側の道路に沿って東側に幾つかの海鼠壁の土蔵が並ぶ。角の建物の威圧的な屋根の造りが印象的であった。
  

稲荷山の街道東側の比較的状態の良い土蔵。大谷石こそ使われていないが、宇都宮の篠原邸にどことなく似ている。街の中にはまだまだじっくり見たい建物がある。近代建築の商店がひとつ頑張っていた。


稲荷山の南にある武水別神社。なかなか立派な神社で、歴史も古い。木曽義仲に関わる「滝壺石」や、君が代に出てくる「さざれ石」なるものが置かれており、社殿や周囲の樹木にも歴史が感じられる。神社の脇の入り口の通りを挟んだ向かい側に、木造三階建ての喫茶店があり、その隣が、これまたかなり古そうなタクシー会社であった。
武水別神社、周囲に掲げられた額の大きさがアンバランスでいながらこの神社の一つの特徴的な建物になっている。右は「さざれ石]と「滝壺石」


武水別神社の灯籠




有名な姨捨の棚田。遙か上の方に姨捨の駅がある。近くに、巨大な岩があり、長楽寺という寺その岩の側にある。棚田にはそれぞれオーナーの名前が書かれた立て札が立てられており、稲の穂もわずかに黄色みを帯び垂れ下がりはじめている。残しておきたい日本の風景であり、そのために多くの人の努力が伺える。
姨捨の棚田。遠く夕暮れの山が見える。下は里山の池


      


里山の池の魚モツゴ。左図の右下の小さい魚がモツゴその他トウヨシノボリやモツゴの仲間達
  




2004年7月24日に京都の重森三玲邸を見学した。重森邸は吉田神社の社家だった邸宅を昭和18年に重森三玲氏が譲り受けたもの。18世紀に作られた本宅と書院に重森三玲氏が新たに庭と二つの茶席を設計した邸宅である。
重森三玲邸玄関
門を入ると正面わずか左に玄関がある。右手奥が庭園になっている。


渡り廊下から見た庭園。渡り廊下を左に進む。




2004年7月3日に「呉羽中学校の魅力の再発見」のミニシンポジュームと見学会が行われた、呉羽中学校は昭和1960年から1963年にかけて4期に分けられて建設された吉阪隆正による学校建築
左:呉羽会館で行われたミニシンポジュームのパネラーの方々。中学校の先生、卒業生も熱弁をふるう。
右:奥の中庭を見上げる
         

左:理科準備室の階下への円形階段
吉阪隆正特有の曲線。いつまで見ていても見飽きない不思議な空間。卒業生の一人はこの空間を知らなかったとシンポジュームの時に残念がっていた。
右:円形階段を見下ろす。準備室は階下につながっている
     

左:Yの字校舎3つと二つの中庭の間に掛かるブリッジで囲まれた中庭
右:中庭を見下ろす
     

左:準備室の窓に付けられたコンクリート打ち放しの庇。独特の形態。二階には理科準備室があり庇にガラスブロックが埋め込まれている。今は屋根材がその上を被い機能していない
右:内部から見上げた理科準備室庇のガラスブロック
    




2003年3月末、建築学会の各部構法小委員会の企画で上海に急速に変化する都市を見に行く。住宅建築6月号「住まいの玩具箱」参照
左:対岸の超高層から見た上海旧市街とバンド 旧人民政府、和平飯店が見える。 バンドの裏側にも高層ビルが建ち並ぶ
右:上海市規劃展示館の模型。 上海市中心部の巨大な模型。超高層が建ち並んでいるのが分かる。 かっては黄浦江の左側(東側)は交通も不便で、 規模の大きな建物は見られなかった。
   

左:上海の超高層群
右:53階建ての中銀大厦の屋上から見た88階建て上海一の超高層「金茂大厦」
    

左:日建設計による「中銀大厦」
左側の建物が中銀大厦。入口ホールは4階分の吹抜で、50階から52階が銀行家倶楽部、最上階の53階が展望台である。
右:やはり日建設計による「上海信息大楼」
球形のところは展示スペースと言うことであったがその中には入れなかった。信息はインフォーメーションのことらしい。41階建て。
    

上海から西に80キロ、蘇州の南東にある保存集落「同里」
集落の入口で入場料を取られる。「同里」の退思園は世界遺産になっている(右)。
    





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